表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 忘れる(令和3年3月)
退院の時、病院から、毎日、体重を量る、朝晩、血圧と脈拍数を計って記録する、薬を飲むのを忘れないようにと言われました。易しいようで、これがなかなか難しいと気が付きました。
体重は、朝起きて普段着に着かえるときに計ることにしました。ところが。寝間着を脱いですぐ普段着に着替えてしまう時があります。もう一度、裸になるのは面倒なので、その日は空欄になります。もっと悪いのは、せっかく計ったのに、二階から下に降りて手帳に記入しようとすると、先ほど計った体重を忘れていることがあります。空欄です。
朝の血圧と脈拍は、計り忘れたことはありません。食卓の私の席に血圧計が置いてあるからです。晩には、そうはいきません。私は晩酌をします。医師の許可をもらってあります。問題は、酒を飲むと血圧が下がってしまうことです。そこで、夕食前に計ることにしているのですが、酒に目がいって、血圧計を忘れてしまうのです。また空欄です。
薬は一日一回、朝食後に飲むように処方されています。一包化といって、一回に飲む薬が、小さな袋にまとめてはいっています。薬は、忘れたくないので、その子袋に飲む日付を、薬局から薬をもらったその日に、記入するようにしています。朝、薬を飲もうとすると、昨日の日付があります。昨日は飲まなかったとわかって、急に頭痛がします。
一事が万事です。妻に電話がかかってきて、取り次ぐときには、もう相手の名前を忘れています。洗濯物を取り込むのを手伝うように頼まれても、ちょっと新聞を読んでからと思っていると、忘れてしまいます。妻はカンカンです。
人間に限らず、動物は記憶によって生きているといわれます。私が、朝、お寺の池に近づくと鯉が寄ってきます。この足音は、餌をくれるのだと記憶しているのでしょう。
サッカーの名選手は、的確な位置取りで、来た球をゴールに蹴りこみます。その時彼は、敵味方の選手の配置を観察して、素早く考えて、駆け込むわけではないでしょう。練習で浸み込んだ記憶が、一瞬に彼を動かすのです。球を蹴るときも、どの力で、どの角度で、どの筋肉を使ってなどと考えている暇はありません。
運動選手だけではありません。わたくしたちが歩くとき、どの筋肉を使おうとは考えません。重いものを持とうとした時も、どの筋肉を使おうなどと考えません。体が覚えた記憶に頼っているのです。
人間の記憶で一番大切な一つは、言葉でしょう。わたくしたちは、目や耳の記憶で象やキリン、自動車や汽車を区別できます。しかしそれを他人に伝えるには、象、キリン、自動車、汽車という言葉を記憶していなければなりません。日本語を知らない人に、リンゴを食べたいといっても理解してもらえません。
年を取ると、物を落としたり、細かい仕事ができなくなります。筋肉の衰えと考えられていますが、それに加えて、筋肉に伝える記憶が衰えているのではないでしょうか。
昔の記憶を忘れ、新しい記憶ができないのが、年を取るということです。今は、百まで生きるのがやっとですが、百を超えて生きるようになった時、記憶はどうなるのでしょう。
石川恒彦