表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 映画あれこれ(令和3年2月)
心臓手術からふた月を過ぎたというのに、体力が回復しません。どうにも気力がわきません。午前中は、心臓リハビリのための散歩、終わると頭脳活発化のための詰碁や社会に追いつくための新聞で時間がたち、夜は読書に充てています。困るのは、昼間で、何かとやりたいことはあるのですが、ぼんやりしてしまいます。
ついテレビをつけるのですが、今はコロナウィルスの話題ばっかりで、面白くありません。そこでリモコンをいじって見つけたのが、NHK BS3チャンネルのプレミアムシネマです。1時からの放映ですが、どうゆうわけか間に合わず、少し遅れて電源を入れます。その時、面白そうだと最後まで見るわけです。つまらなそうだと、読書ですが、すぐ居眠りしてしまいます。
わたくしたちの子供のころは、映画は特別な娯楽だったと思います。当時は、空き地があちこちにあって、休日や放課後には、子供たちがワイワイ集まって、野球、相撲、縄跳び、馬跳び、かくれんぼ、鬼ごっこなどを夢中で遊びました。雨が降れば、誰かの家に上がり、将棋、トランプ、花合わせなどを楽しみました。誰も、宿題や塾を気にする時代ではありませんでした。
それでも映画は特別でした。仲間に映画好きの少年がいました。たしか、私より一学年上でした。彼は、近所で上映中の映画の情報に詳しく、彼の話を聞いて、みんなで映画を見に行くこともありました。親から映画代をもらうのは、難問でしたが、「Aちゃんも、Bちゃんも、みんな行くんだ」というと、たいていの親は財布を緩めたようです。映画好きの大人も沢山いて、よく連れて行ってもらいました。大人が見る映画は筋がわからないものもありましたが、映画を断る理由はありませんでした。
成長してからは、何かと忙しく、映画館から足が遠のきました。再び映画をよく見るようになったのは、隠居してからです。月に二度は、妻と映画館に出かけました。むかしと違うのは映画のあと、飲食店に寄って、食事とお酒を楽しむようになったことです。ハズレの映画を見ても、いい気分で家に帰れました。
気が付いたことがあります。アメリカや日本の大会社の作った映画は、計算が行き届いていて、それなりに楽しませてくれます。しかしそれだけです。それに反して、ヨーロッパやアジアの小型の映画は、見終わって、何か心に残りました。
BS3で放映される映画は、私があまり映画に行かなかった時代のものが多いようです。びっくりするのは、見たことのある映画を見ると、記憶の筋書きと全く違う時がるあることです。小説でも、時間をおいて再読すると、そういうことがありますが、映画のほうが激しいという印象です。
健康を回復し、コロナが収まったら、また映画に行きたいと思っています。そのときは、ヨーロッパとアジアの映画専門で行きたいものです。ただ、これらの映画は、見終わって暗い気持ちにさせるものがあります。その時は、医者に許されている酒量を少し超えなければならないかもしれません。
石川恒彦