表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > お別れ(令和2年5月)
嫁に来て以来、姑の厳重な監視の下、手入れを怠らなかったぬか床に、別れの時が来たようです。
私にとっては、おふくろの味である、我が家のぬか漬けはいたって単純です。ぬかと塩だけのぬか床で作ります。大変なのは、毎日桶の底まで手を突っ込んでぬか床をかき回さないと、すぐに味が変わってしまうことだそうです。妻が旅行に行ったり、体調が悪いときには、私が、命令されて、かき回しますが、あまり楽しい仕事ではありません。
体力に自信が無くなった妻が、そろそろ、ぬか床を処分しようと言い出しました。驚いた私の子供たちが、分けてくれれば、自分たちで養生するといってくれます。しかし、あまり期待が持てません。
今までも、ずいぶんいろんな人たちに、ぬか床を分けて差し上げました。一年以上もった人はいなかったようです。中には、何度やっても失敗して、「今度から、出来上がったお新香を頂いていくわ」という図々しい人もいました。
妻の手入れもよかったのでしょうが、我が家のぬか漬けが評判いいのは、町の米屋さんのぬか、町の八百屋さんの野菜が買えることにもあるようです。池上に来ると、わざわざ、我が家が買っている200円のぬかを買って帰る方もいます。
町の昔からの店がどんどんなくなって行きます。つい最近も豆腐屋さんが店を閉めました。池上界隈では有名な店で、湯豆腐をご馳走すると、どこの豆腐屋の豆腐ですかと聞かれました。近藤さんですというと、やっぱりという顔をよくされました。
店は繁盛していたのですが、もう年で、後継ぎがいないので店をやめたようです。近藤さんの隣の魚幸さんもだいぶ前に店を畳みましたが、ここも後継ぎがいませんでした。正確には子供がいても、小さな商売は嫌だと勤め人になったようです。
代わりに進出したのがチェーン店です。食品、衣類、雑貨、なんでも手軽に手に入ります。どこも本部で大量に仕入れて、支店や加盟店に材料や完成品を配りますので、小さな店は対抗できなくて、消えていきました。ごく少数の優秀な商品を提供できる店は残っていましたが、近藤さんのように後継ぎがなければ消える運命にあります。
妻の漬けるぬか漬けは、ほんのひと昔ふた昔には、どこの家庭でもありふれたものだったと思います。それが、生活様式の変化で、珍しいものになってしまいました。妻からぬか床を分けてもらっていく人たちは、その味を覚えているということなのかもしれません。
孫が来るとわかると、妻は大量にキュウリを漬けます。孫たちが、他のおかずを無視して、キュウリばかりを食べるのを見て、うれしそうです。わたしは、もっと他の物を食べるように親たちが注意すればいいのにと、親の顔を見ると、彼らもキュウリに夢中です。少なくとも私の子供や孫は本物の漬物の味を知っていると納得しています。
私の母は、晩年、「楊子さんのお新香があれば、他のおかずはいらないわ」とよく言っていました。本当にぬか漬けが好きでしたが、同時に、ぬか漬け免許皆伝の嫁を自慢しているようにも見えました。
石川恒彦