表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 物忘れ(令和2年4月)
亡くなった母には、子供が4人、孫が12人いました。そのうちの誰か一人が目の前にいるとき名前を呼ぶのが大変でした。「紀子、恵子、愛子、尚子、あ、恭子。」「達彦、孝彦、昌弘、隆介、あ、恒彦」。一度に正しく名を呼べたのは稀でした。
それを見ていた私は、必ず間違わずに孫の名前を呼ぼうとしています。ところが、はっとすると、名前が出てきません。頭の中で、孫の名前を大きい順に考えるのですが、誰の名前も出てこない時があります。母よりだいぶボケが進んでいるようです。
ハーブを育てています。老齢の婦人が二人、囲いに寄ってきて、この野菜はなんていう名前ですかと聞かれました。とっさに思い出せないでいると、もう一人の婦人が、「コリアンダーよ。パクチーを知ってるでしょ。あれよ」。それから他のハーブを見ていましたが、「あら、ローズマリーね」と、いいます。本当はラベンダーですので、「違います」といってから、ラベンダーの名前が出てきません。老婦人は、私を哀れそうに見て、「ローズマリーよ」といって去って行きました。
山門の脇に、変わった椿があります。ベトナム原産で、赤い蕾は果物のようで、開くと厚い花びらだとわかります。あまり大きく開きませんので、一見、椿には見えません。名前をよく聞かれますので、久遠林に生えている花と関連して覚えています。ところが、今年の春に、どうしても久遠林の花の名前を思い出せなくなりました。困っていると、道を通る女性から、「カイドウがきれいですね」と、声をかけられました。そうです。久遠林の花は花海棠、山門の椿は海棠椿と思い出しました。ハイドゥン椿とも呼ばれます。
晩年の母は、週刊誌をよく読んでいました。一冊買ってくると一月は持ちました。読むのが遅かったわけではありません。一回読み終わると、何を読んだか忘れてしまうのでしょうか、また何度でも読み直していました。おかしなことに、私が記事の内容を話題にすると、ちゃんと答えてくれました。雑誌と離れて、頭のどこかに記憶していたのだと思います。
昔のことを急に思い出すことがあります。たいていは嫌な思い出で、人から受けた迷惑や、人に与えた迷惑などを思いだします。普段はすっかり忘れていることなのに、何の脈絡もなく。頭に浮かびます。
思うに、私たちの脳は、相当細かいことまで、大量に記憶できる力があります。しかし、それをいちいち思い出していては、毎日の生活に支障となります。その時々の必要に応じて、記憶の底から必要なことを思い出して生きています。必要のないこと、いやなことは、思い出す回路に載せないようにしています。それを繰り返していると、思い出す回路が、だんだん錆びついてくるのではないでしょうか。
年を取ると物忘れがひどくなります。それは記憶力が減退したのではなく、思い出し力が減退したのだというのが私の考えです。それが証拠に、眼鏡をなくし、家中を捜しまわって見つけると、どうしてその棚に眼鏡を置いたのか、詳細に思い出します。友達との約束を忘れ、謝りの電話を入れる時には、何のために会うのか、すっかり思い出します。年寄は忘れません。思い出せないのです。
石川恒彦