表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 映画を見て(令和2年2月)
見終わって、心が暗くなる映画があります。最近そういう映画を二つ見ました。
未一つは「家族を想うとき」というイギリス映画です。会社に勤めて、順調に過ごしてきた職人が、金融危機で、仕事を失い、それから色んな仕事をしたが、うまくいきませんでした。一念発起、宅配便の個人事業主として働くことになりましたが、会社との契約にがんじがらめにされ、悪戦苦闘する物語です。息子が高校で問題を起こして、呼び出されても、教師との面談に行けないほど多忙です。家族のために働いているのに、かえって家族が崩壊しそうになります。やや仕事が好転したところで、強盗に襲われ、会社から貸与された、高価な器具を壊されてしまいます。弁償です。これを機会に家族との絆は戻りましたが、主人公は働き続けなければなりません。
未もう一つは、韓国映画「パラサイト」です。半地下のアパートに住む一家は職がなく、ピザの箱作りの内職に精を出しています。息子は、裕福な友人から、大学生と偽って、家庭教師をしたらどうだと、そそのかされます。まんまと富豪の家の家庭教師となった息子は、奸計を用いて、家政婦と運転手を追い出し、自分の父母を雇わせます。そこからドタバタが始まります。最後は、世間を出し抜いて、勝ったように見えますが、実際には、初めより、うんと悪い境遇になってしまいます。
未どちらの映画も、同じ家族構成です。父母、息子、娘の四人家族です。イギリス映画では息子に絵の才能があり、韓国映画では娘に絵の才能があります。どちらも貧乏ゆえ、大学に行けそうにありません。イギリスも韓国も、教育熱心な国です。しかし、貧困層には、必ずしも、教育の門は開かれていません。教育格差が、生活格差を恒久化するといわれます。
未金持ちはますます金持ちに、貧乏人はますます貧乏になるのが、現代の世界だといわれます。普通、映画では、金持ちがますます金持ちになる話はあまりありません。そんな話は誰も喜ばないでしょう。たいていは貧乏な人や困難な境遇の人が努力の結果成功する話です。貧乏が貧乏を呼ぶ話だって、本当は見たくありません。観客を暗い気持にさせます。しかし、富豪には共感を覚えないのに、貧困の話しには何か身につまされるものがあります。誰もが自覚はなくても、一つ間違えれば、自分も貧困に陥るのではないかという不安を抱いているのではないでしょうか。
未しかし金持は違うようです。ここ数年、金持ちが事業に失敗したり、逮捕されたりした事件をよく耳にします。不思議なことに、彼らが、生活保護を受けたり、職業安定所に並んだという話を聞きません。金持階級に入ると、そこから落ちない、何か特別の仕掛けがあるように見えてなりません。
未このまま経済格差が開き続け、極端まで行ったらどうなるのでしょう。人口の大部分が貧困線以下になってしまえば、彼らの購買力が落ち、経済が行き詰ってしまうのではないでしょうか。基礎的収入を政府が保証すればいいという人もいますが、原資を金持が払うでしょうか。
未当面、通販で注文した品が届く日には留守にしないよう心掛けます。
石川恒彦