表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 動物の声(令和2年10月)
都会では、めっきり動物の声を聞かなくなりました。一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ。一匹の犬が何かの理由で、大声でなき出すと、他の犬がそれに反応して、一斉になきだす夜がありましたが、今ではありません。春の夜、猫があいびきをする声は、不気味です。それも聞かなくなりました。おそらく、人間がそのように上手に躾けたのでしょう。
鳥の囀りもあまり聞かなくなりました。鳴いているのは、カラスばっかりで、スズメの囀りはほとんど聞きません。たまに見かけることはありますが、東京のスズメはずいぶん痩せています。
カラスや猫、それに鳩に餌をやっている人がいますが、そこにスズメが仲間にはいっていることもまれになりました。都会のエサ不足以外に何か理由があるように思えます。
動物の鳴き声は、縄張りの主張、食べ物のありかを仲間に知らせる、警戒、それに恋、そういう単純なことに用いられるだけで、人間のように複雑なことを知らせあうことはできないと考えられてきました。言葉を持つのは人間だけで、言葉を持つゆえに、人間は他の動物より優れているのだというのが常識でしょう。ところが、近年、動物の鳴き声はもっと言語的だと観察されるようになりました。
エヴァ・メイヤーの「言葉を使う動物たち」を読みました。
動物の言葉を研究するとき、二つの場面を分けて考えなければならないようです。一つは、動物と人間と交流するとき、もう一つは動物が仲間内で会話するときです。
オウムのアレックスは、150単語を覚え、色や形、材質、機能を認識できました。例えば彼は、鍵が何のためにあるかを知っていました。違う形の鍵を見ても、それが鍵であることを理解できました。「おなじ」「ちがう」「おおきい」「ちいさい」「はい」「いいえ」を示すことができました。
アレックスは人間の言葉を理解し、しゃべることができました。犬はしゃべれませんが、人間の言葉をある程度理解しているように見えます。
ところが、人間は、動物たちの言葉がわかりません。イルカが水中で仲間と話していることは、わかっていますが、彼らが何を話しているかは、わかりません。カラスの声をきいて、怒っているのか仲間を呼んでいるのかわかる人は稀です。その稀な人も、カラスの声をまねて、カラスと話すことはできません。
動物の行動を観察している人々は、動物は、人間には聞こえない、高い音や低い音を使い、また、その音も、「あいうえお」や「ABC」とはちがう音ではないかと想像しています。
動物は我々の言葉を理解でき、我々は、動物の言葉を理解できないとすると、賢いのはどちらでしょう。
遠吠えができなくなった犬は、仲間に自分の気持ちをどう伝えているのでしょう。仲間が少なくなったスズメは危機感を持っているのでしょうか。電線に止まって、大声で泣いているカラスは、仲間に、「俺たちの言葉を解らない、馬鹿な人間が歩いているぞ」と教えているのでしょうか。
石川恒彦