表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > マンホールチルドレン(令和元年5月)
評判のテレビドキュメンタリー「ボルトとダシャ、マンホールチルドレン20年の軌跡」の再放送を見ました。
1990年代初頭、モンゴルの社会主義体制が崩壊して、議会制民主主義体制に移りました。新しい政権は、経済成長を優先させ、社会保障制度をないがしろにしましたので、沢山の落ちこぼれた人を生みました。特に影響を受けたのが、子供たちです。親が養育できなかったり、家庭不和になったり、そういうところから逃げ出した子供たちが、首都ウランバートルに集まりました。
ウランバートルは、寒いところです。夏でも最高気温は24度、夜になれば、12度まで下がります。そこで彼らは、給湯管の通っているマンホールに住むようになりました。彼らを20年にわたり、日本の番組制作会社が追い続けました。子供たちの中でも、穏やかに話ができた、ボルトとダシャに特に焦点を当てたようです。
日本にも、戦争に負けた後、浮浪児と呼ばれる子供たちが沢山いました。ぼろを着て、靴磨きの道具を持って歩いている子供たちの姿は、私たち戦争直後に育ったものには、見慣れた光景でした。浮浪児の多くは、戦災により家族を失った少年少女でしたが、ボルトやダシャは、家族はあっても、家を出なければならない悲惨な事情がありました。
ボルトは、大工見習の仕事を見つけ、マンホールで知り合った少女と結婚、自分で家を建て、母と妹も呼び寄せて、一緒に住むようになりましたが、嫁姑の折り合いが悪く、家族はバラバラ、再びマンホールに戻りました。強度のアルコール中毒になりましたが、幸い牧師の援助を得て、中毒を克服、文字も覚え、タイヤ修理の技術を学び、自分の小さなタイヤ修理の店を持てるようになりました。
ダシャは、相変わらずごみを集めています。ただ前と違って、市の職員として廃品を回収しています。遊牧民のテント、ゲルに、妻子供と住んでいます。子供には教育を受けさせようと、廃品回収の仕事の傍ら、日雇い仕事にも頑張っています。今の希望は、文字を覚えて、運転免許証を取り、清掃車の運転手になることだといいます。
ボルトとダシャを困難のどん底に落とした、経済成長政策が、ようやく実を結び始め、モンゴルは高度成長のまっただなかにいます。その恩恵がようやくマンホールの子供たちに及び始めたのは、皮肉を通り越しています。しかし、ボルトとダシャを見ていると、彼らが安定した生活の入り口に居れるのは、彼らの強靭な精神と肉体にあったと思えます。テレビを見ながら、しきりにモンゴル出身の横綱の風貌が頭に浮かびました。
世界中で、貧富の格差が増大しているといいます。ボルトとダシャが一所懸命に働くのは,格差は縮めることができると信じているからでしょう。もしそれが夢とわかればどうなるでしょうか。
現代日本の若者の労働意欲の低下が問題になっています。格差が拡大する中、どんなに意欲をもって働いても、格差を縮められないと、夢を持てなくなっているのが大きな原因ではないでしょうか。
石川恒彦