表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 往生際(令和元年11月)
時々、ヘボ碁を打ちます。碁のいいところは、ハンディをつけて勝負しますので、どんな実力の人とも、楽しめるところです。
勝負が進み、もう勝ちはないと判断したら、頭を下げるのが礼儀とされます。素人ですと、相当の差が出ないと勝負を見分けられませんが、玄人ですとほんの僅差でも負けを認めるようです。
困るのは、盤上形勢明々白々なのに投げない人です。形勢が読めないのか、淡々と打ち続ける人がいるかと思うと、形勢不利を承知で、奇想天外な手を打ってくる人もいます。上手くいくことはほとんどありません。
私はもうだめだと思ったら、清く投げたいと心がけていますが、失敗もあります。ある時、参ったといったら、横で見ていた高段者から、待ちなさい、君のほうが優勢だよと言われたこともあります。敗北宣言をした後ですので、相手の勝ちとなりましたが、相手の方も複雑な気持ちだったのではないでしょうか。形勢判断も碁の実力の内ということです。
自分でも不愉快なのですが、私もなかなか投げられない時があります。その時の心理を自分なりに分析すると、どうも相手を見くびって打っていて、途中から、こんなはずでなかったと、敗勢になった時、もうちょっと打てば何とかなると、打ち続けて、ますます、深みにはまってしまった時、なかなか負けを認められないようです。
1939年、ノモンハンで、日本軍は、ソ連軍の前に、惨敗をこうむりました。日本軍の士気や、訓練は、相手に勝っていたといわれますが、負けたのは、装備、補給、情報の貧弱さでした。軍の首脳はそれを知っていましたが、欠陥に特別の改良を加えることなく、1941年、英米と戦争を始めてしまいました。
英米人は、日本人と違って、勇気と忍耐にかけるから、緒戦で決定的勝利を収めれば、降伏するだろうという、勝手な思い込みがありました。案に相違して彼らは勇猛で、優勢な物量で、日本軍を次々に破りました。軍首脳は、どこかの戦場で、決定的な勝利を得て、有利な講和を勝ち取ろうとしましたが、そのようなことは起こりませんでした。結局、原爆投下、そして占領という屈辱を味わうことになってしまいました。
相手を見くびって戦争を始め、敗勢明らかとなっても、意地と名誉が災いして、なかなか負けを認められなかったのです
2020年の東京オリンピックは真夏の開催が条件でした。日本人なら誰でも、東京の真夏の野外運動は危険なことは知っていました。夏になると、しょっちゅう熱中症注意報が出て、運動はおろか外出さえ控えるように警告されます。そこにあえて目をつぶって、招待を決めました。技術とお金と努力で暑さを克服できると考えたのでしょう。
しかし、開催まで一年を切った時、突然、国際オリンピック委員会は、マラソンと競歩の札幌開催を提案してきました。東京都は抵抗していますが、押し切られそうです。
ここまで暑さ対策に奔走されてきた人々は釈然としないでしょう。しかし相手は暑さです。命です。最初に見くびったつけがきました。往生際よく諦める時でしょう。
石川恒彦