表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 浜離宮から浅草へ(令和元年10月)
浜離宮恩賜庭園を見物してから水上バスで浅草まで行ってきました。
浜離宮には、小学生の時、遠足で一度だけ行ったことがあります。もう70年も昔のことです。年寄はさっきのことは忘れるが、昔のことはよく覚えているといいますが、浜離宮は、確かに小学生の記憶にある姿でした。広い芝生、大きな池、さすがに弁当を食べた場所はわかりませんでした。
変化の激しいのは、庭園の周りです。高層ビルと高速道路が三方を囲み、東の隅田川を挟んで立つ、倉庫群もなかったのではないかと思いました。高速道路から聞こえる自動車の騒音が入り口付近の庭園の趣を台無しにしていました。25万平米の庭ですので、奥に行くと騒音は聞こえなくなりました。
小学生に衝撃を与えたのが、極貧の人々の小屋の群れでした。掘割に沿って、道路を挟んで、骨組みにぼろきれをかけただけの小屋がずらっと並んでいました。春のせいか、暗い感じはなく、匂いもありませんでした。昼間で、働ける人は出かけていたのでしょう、静かな感じでした。もちろん今はありません。
浜離宮は徳川将軍の鷹狩り場だったところを、4代将軍家綱の弟綱重がもらい受け、浜屋敷を構えたのが始まりだそうです。その後、綱重の子供家宣が6代将軍となり、屋敷は幕府のものとなり、浜御殿と呼ばれるようになりました。現在のかたち完成させたのは、11代家斉の時だといいます。明治維新で皇室の所有となり、浜離宮と名前を変えました。戦後は、東京都に下賜され、浜離宮恩賜庭園と命名されました。
浜離宮から浅草へ水上バスという名の船で行きました。水門を出ると隅田川です。船の売店でビールを買って、時々流れる録音の説明を聞いていました。橋の名前、流れ込む支流の名前、有名な施設の名前、等々。船は静かに進み快適でした。
橋を次々にくぐって行きます。橋は案外低く、二階建ての船は、やっとくぐれる高さになっています。隅田川は、橋の上から見るより広い川で、都心側は水面より少し高いところに歩道が設けられ、その後ろが堤防になっています。少し前までは、その遊歩道には、青いテントが並んで、家のない人たちが住んでいたのですが、今は無くなっています。どうやら、ラグビーの世界大会や、オリンピックがあるというので、強制的に立ち退かされたようです。
彼らはどうしているのでしょう。何処か郊外の施設に収容されているのかもしれません。しかし彼らが都会にテントを張るのは、廃品を回収したり、期限切れの弁当を食べるのに便利だからと聞きます。オリンピックが終わると舞い戻ってくるのだろうなと、ぼんやり考えていました。
東京スカイツリーが見えてきて、有名なビール会社の建物の対岸に船はつきました。船を降りて、遊歩道を少し散歩しました。お役人は頭がいいですね。遊歩道のテントを張るのによさそうな場所には、鉢植えが置いてあったり、寝転ぶことができないように座席が仕切ってあるベンチがあったり、金網で囲ってあるところもありました。オリンピックの後、帰ってくるだろう青テントの人たちに同情を覚えました。
石川恒彦