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隠居からの手紙

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秘 密

私の義父は海軍兵学校の教官でした。他人の面倒をよく見る人でした。晩年は逆に、元生徒の一人がよく出入りして、いろいろ世話を焼いてくれました。あまりに先生先生というものでしたから、周りの人が馬鹿にするほどでした。義父は当たり前のような顔をして、するがままに任せていました。よっぽどウマが合う変人同士だと、私などは思っていました。
最近その元生徒とゆっくり話す機会がありました。兵学校時代、彼の存在の根本にかかわる、懊悩があったことを語ってくれました。義父がいなければ、どうなってしまったか。私の驚いたのは、義父がそのことについて何も語らなかったことです。におわすことさえありませんでした。おそらく義母も知らなかったでしょう。

私の師匠は第二次世界大戦後、チャンギー刑務所で教誨師でした。BC級戦犯として連合国の裁判を受け、死刑判決を受けた将兵の最期をみとりました。時々、その時の体験について取材を受けます。研究者、遺族、新聞記者、TVドキュメンタリー作者、等々。
この問題に関心を持つ誰にも会い、質問には懇切丁寧に答え、時には独演会になります。話したいことが山のようにあり、聴いてくれる人には何でも話すのだと思っていました。しかし、ある時、ある新聞記者が、取材の帰り際に家族に語った言葉に驚かされました。
「お師匠様は、絶対に話さないと決めていることがいくつかあるようです。話がある点に近づくと、必ず方向がそれます。自然に見えますが、あれは意識的です」 瀬島龍三さんが亡くなりました。大本営の参謀部員で、終戦直前、関東軍の参謀として転出、日本軍のシベリア抑留と強制労働に深くかかわっていたとされます。彼も終戦前後の体験を何も語らなかったようです。彼の場合、シベリア抑留について、何か日本人に不利な取引をしたと、常に疑われてきました。何もしゃべらないので、疑いはますます深くなりました。

明かしてはならない秘密というのは確かにあるでしょう。他人の秘密をみだりに話さないのは、立派な美徳です。しかし、それは私的領域に限られます。公的なものは、記録にとどめる義務が、特に指導的立場にあった人には、あると思うのです。もし、それが自分の不利になる情報だとしたら、それこそ、語るべきものではないでしょうか。

平成19月9月
石川恒彦

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