表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 古墳と感動(平成19年7月)
私の寺の裏山にあるお寺で、ここ数年、大規模な発掘調査を行っています。初めは、万両塚と呼ばれる、環濠墓地の調査から始まりました。これは鳥取藩主池田光仲の室である芳心院(紀州徳川頼宣の娘)が、生前に作らせた墓で、二重の堀を巡らし、建設費が一万両にも及んだことから、俗に万両塚と呼ばれています。第二次世界大戦の末期には米軍機の機銃掃射を受けたそうで、その時の弾痕が残っています。調査が進むと、このお墓は弥生時代の集落の上に築かれていることがわかりました。住居跡が見つかり、土器や埴輪が沢山出土しました。
万両塚を修復した後、今度は、万両塚の東側の、やや地面が高くなっているところを発掘しました。出ました。馬具が出ました。その下には人骨があるようです。馬具を副葬品とした古墳の一部であることがわかりました。
全体像は、こうなります。東京湾を見下ろす小高い丘の上に、弥生人が集落を作りました。やがて、集落は捨てられ、土が堆積しました。古墳時代、馬を使う、おそらく族長の古墳が築かれました。古墳の主の名は忘れられ、江戸の初め、古墳とは気付かずに、古墳を削って、大名夫人の墓となりました。
発掘現場に立って、私は思わず感動しました。何十年も前に学校で習った、日本の歴史が、目の前に横たわっているのです。あ、本当なんだ、と。
石川恒彦