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隠居からの手紙

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自由と正直

私たちは自由の価値を疑いません。おそらく人間にとって一番大切な価値の一つでしょう。現代は自由の時代といえます。私たちは昔の人に比べると、はるかに自由に暮らしているように見えます。因習や、宗教や、規制から自由に行動し考えています。しかし、誰もがが同じように自由を享受しているかというとそうとはいえません。能力や地位や生まれによって享受できる自由に差があるように見えます。

 もともと人間は不自由であることを運命づけられていました。自然の中で私たちの先祖は気ままに生きていたわけではありません。海でも砂漠でも生きることはできませんでした。一日の大部分を食糧の採集に使っていました。その自然と闘うために人間は団結しました。社会を作ったのです。その社会には規則が必要でした。私たちは自由を犠牲にして、今日を生きることを選んだのです。その規則はだんだん精緻なものとなっていきました。しかも一部の人にはなはだ有利なものとなっていきました。大部分の人間は自由を益々失っていったのです。いや、皮肉なことに支配する人々も、程度の差こそあれ、自由を失いました。

 その逼塞状態を打ち破ったのが、情報技術(IT)でした。最初のITは印刷術でした。長いこと出版物は支配者に危険なものと見られ、出版制限は日常のことでした。しかし、出版物は徐々に支配階級に、後には一般民衆に浸透していきました。出版物は、娯楽や実用を伝えただけでなく、思想も伝えました。出版物を通じて、支配の構造が明らかになり、社会的自由が可能なものであることが明らかになっていきました。  現代にいたり、ITは長足の進歩を遂げました。それに従い私たちの自由度も格段に向上しました。しかし自由度に格差があることは明らかです。格差解消を阻む二つの障碍があります。

 一つは情報の秘匿です。これは技術の進歩によって無くなる可能性があります。もう一つは不正確な情報です。特に意図的に流される嘘の情報です。最近の大事件のいくつかは嘘の情報にその根幹があります。嘘の情報が他人の自由な思考と行動を誤らせるのです。  そこでみんなが社会的自由を得るためには、正直が大切になります。正直に裏付けられた自由が大切だと考えるのです。しかし、自由な人間が正直な情報に基づいて行動したとき、その結果が常に幸福を保証するものとは限りません。

 つまり、社会的自由をいくら追求していっても結局、私たちが自然を相手に社会生活を送っている限りは、自由には限りがあるように思えます。自由をとことん追求し、正直に自分を見つめたとき、最後は、無限の自由を約束する、仏の道に行き着くように思えます。そのことに自由を追求するどの段階で気づくかが、一人の人間の重い問題と考えています。  

平成19月1月
石川恒彦

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