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隠居からの手紙

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靖国神社1

 外国に行くと、無名戦士の墓があります。戦争をすると、かってはどうしても身元のわからない戦死者が出ました。その中から一体を選び、無名戦士の墓に葬り、その戦争の犠牲者の象徴としました。もちろん別に戦死者の墓地はあります。多くは戦争ごとにその戦死者の遺体が葬られ、名前、階級、死亡日、死亡地、などが、一つ一つの墓に記されています。
  公的な行事は主として無名戦士の墓で行われます。 外国の元首や使臣もここを訪れます。

  これは政治的に大変賢いやり方に見えます。なぜなら、名前のわからない戦死者は無色透明です。彼が何人もの敵を倒した英雄だったのか、あるいは前線から逃げ出した卑怯者だったのか、だれもわかりません。わかっているのは彼が戦争の犠牲者であるという事だけです。敵も味方も彼の不幸を悼み祈ることができます。彼の前で頭を下げるとき、人々は戦争の悲惨に思いをよせます。
  おそらく、戦争ばかりしていた、欧州の長い歴史の智恵といえます。

  日本にも軍人墓地はあります。しかし、無名戦士の墓はありません。その代わりになると考えられているのが靖国神社です。ここには戦死者の身体的遺物はありません。戦死者は神となり、ひとりひとりの名が祀られています。ここを訪れる人は、軍神となった身内や友人に祈り、あるいは同胞に祈ります。戦死者の個々の記憶が時代と共に薄れていけば、軍神は無名戦士と変わらなくなります。

  しかし、それは日本人にとっての事です。かっての敵にとってはそうはいきません。ここには忘れるに忘れられない敵の名があります。日本と戦った国の元首が靖国に参拝しないばかりでなく、日本の首相が参拝するのに不快感を示すのも、あながち横やりとはいえないのです。

  ここに靖国神社の困難があります。1874年の台湾出兵から1945年のミズーリ号まで“たかだか”70年の戦争経験では、彼我を満足させる戦死者慰霊の智恵を持つには短かったのでしょうか。

平成18月10月
石川恒彦

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