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隠居からの手紙

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ミュージカル

劇団四季のミュージカル「南十字星」が9月12日から始まります。私の寺、照栄院、も、この作品にちょっとだけ関係があります。

  照栄院の先代、田中日淳上人は、後に日蓮宗管長となった方ですが、第二次大戦中は、陸軍士官で、シンガポールに駐在していました。戦争が終わって、残務整理が終わると、古参士官としてすぐにも帰還船に乗れる立場にありました。ところがある日、ある参謀からチャンギー刑務所でBC級戦犯の教誨師になってくれとたのまれました。

  逡巡している時に思い出したのが、捕虜収容所の新聞「東京ニュース」に載っていた、木村久夫上等兵の和歌でした。木村上等兵は大学を出たあと、招集されて兵卒として従軍しました。大学出で英語が出来るというので日本軍捕虜収容所の通訳をしていました。日本軍の捕虜の扱いは劣悪でしたので、捕虜に直接当たる通訳は捕虜の恨みを買うことが多く、木村上等兵も戦後捕まって、絞首刑となりました。チャンギーで刑死した、ただ一人の上等兵です。

  「朝粥を すすりつ思う 故郷(ふるさと)の 母よ嘆くな 父よ赦(ゆる)せよ」 沢山ある木村さんの獄中歌の一つです。

  日淳上人は、木村死刑囚の歌を思いだし、戦争犯罪人として裁かれている人々の境遇を推し量り、シンガポールにのこることにしました。一年八ヶ月の教誨師生活を終えて帰国した上人は、まず遺族に遺書を配り、刑死の様子を語りました。又とくに、朝鮮人BC級戦犯の不当な扱いを憂慮して色々運動もしました。後に照栄院の境内にチャンギー刑務所での刑死者のために慰霊碑を建てました。

  ミュージカルの主人公、保科勲は、木村久夫さんがモデルです。照栄院の慰霊碑には木村さんの名前も、もちろん、刻まれています。

平成16年9月
石川恒彦  

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