表紙 > 住職より > 平成29年5月
先日、裏庭で瀕死の狸を見つけました。他の鳥獣と争ったのか、傷を負っていました。死んだら埋めなきゃならないなと思いながら、植木鉢の受け皿に水を入れて横に置いておきました。翌朝に見に行くと姿が見えません。少し探すと、軒下をくぐって中庭に移動をして、大きなサボテンの横で息絶えていました。念のため埋める前に大田区のホームページを見ると、管轄する清掃事務所に連絡するように書いてありました。業者によってお骨にされ、提携しているペット霊園に合祀すると注意書きがありました。迷いましたが、取りに来てもらう事にしました。狸を直接触らないようにようにしてビニール袋に包んで段ボール箱に入れて待っていると、午後には引き取りに来てくれました。
境内を我が物顔で闊歩する猫が3匹ほどいます。飼われているものも野良のものもいます。縄張り意識が強いのか、決まったコースで見回りをしているように見えます。進路上にある木の何本かは、爪とぎの為か樹皮が削られてむき出しになっています。
今回の狸の件などで珍しく野生の動物と関わり合いを持つと、動物の野生と飼育の違いや、愛玩動物という言葉の響きなどに思いを巡らせます。過激な思いには至りますが、ここに書けるような万人が納得する答えは無いように思います。
お寺の敷地内で鳥や猫が死んでいたら、本堂脇の土に埋めて手を合わせるようにしています。芝に糞をすると思しき野良猫が庭を闊歩していたら、大人げなく威嚇をして追い払います。餌付けをしている人がいたら、慇懃無礼に声を掛け速やかにお引き取り頂きます。大抵罵られる事になります。
石川龍彦